第14回 はかせからのお願いの巻き

子育てゼミナール

ぬほほほほ。みなさん、こんにちは。

今回はわしのお願いのようなものじゃ。じゃが、みなさんに聞いてほしいと、ずっとずっと思い続けとることじゃ。

養育者のみなさんで経済的に困窮しとるとか、こどもとおることが苦痛でたまらない・・などの特別な理由がないならば、できれば義務教育が終わるまで、せめて小学校に上がるまでの間は、出来る限り多くの時間をこどもと共有してやってほしいと思うのじゃ。

活動的な人や能力のあるひと、自分の時間を大切にしたい人、職場で取り残される危機感を持つ人・・そりゃいろいろな事情があるわなぁ。そんなことをわかったうえでのわしの勝手な切なる願いじゃ。

こどもにとっての心の満たされ度は、時間と愛情が比例する。こどもは養育者が大好きで優しいから、養育者の気持ちを理解してくれるじゃろう。こどもは頭が良いから「お留守番できるよ」「寂しくないよ」「行っていいよ!」「頑張ってね!」とにっこりしてくれるじゃろう。

じゃが、頭は理解していても、感じる心までは操作できない。寂しい気持ち、悲しい気持ち、甘えたい気持ち、一緒にいたい気持ちをこどもなら、なおさら、強く繊細に敏感に感じる。

人生経験が乏しく、広い視野での選択肢を持たないから、その自分の気持ちの処理をうまくできずに、誤った価値観に基づいて、人生の生き方の決断をしてしまい、自分の人生脚本に大きく影響を及ぼすこともある。

こどもの望みは大好きな養育者といつも一緒に過ごすこと。幸せを感じるときは養育者に触れる時間。こどもの安心感は養育者がいつもそこにいて微笑みを向けていてくれること。

家はスキュアベース(心の安全基地)じゃ。優しくしてもらえればいいとか、こどもの扱いがうまいとか、遊んでもらえればいいなど、条件さえ良ければ、誰でもいいというわけではない。

それは保育のプロであっても、じゃ。幼いころのかけがえのない時間は、こどもにとって誰にも変わることができない、自分を一番に愛してくれる、そんなたった一人のかけがえのない養育者と、まずは、とにかく愛着関係を築いていくことが社会に向けての第一歩じゃと、わしは思うのじゃ。

〝自分を信じる・人を信じる・世の中を信じる〟 そのための基盤となるんじゃよ。世の中、理不尽や矛盾がたくさんある。理解できないこともやるせないことも、報われないことも、抗えない境遇も、本当に考え出せばきりがないほど無情なことがいろいろある。

じゃが、許される状況と、こどもを受け止められる精神状態にある養育者だけでも、我が子の人生を左右する幼いその時間、自分の人生の一コマをこどもに費やしてやってもらえんかのぉ。

そうすることで大きくなったこどもたちは、それぞれその、子育てを真似、余力のある子たちは境遇に恵まれなかった子たちにも愛を注ぐじゃろう。すると児童虐待を制御できない心の病の人間が徐々に減っていき、そうして悲しい事件の連鎖にピリオドが打たれる日がやってくるとわしは希望をもっとる。

じゃが・・心の中で子供のころの自分が泣いとるひとがおったら、わしんとこにとりあえずきとくれなぁ。