第73回  今と将来

子育てゼミナール

ぬほほほほ。

みなさんこんにちは。

さてみなさんは「今」をどのようにとらえとるじゃろうか。

『こう育てなければこうなるよ』といった子育てはない。

じゃが、『こう育てるとこんなことが起こりやすくなるようじゃ』はある。

やむを得ずの事情関係なく、こどもが『寂しさ』をいつも抱えたままに成長すると、不良、優等生、学力、生活態度関係なしに、中高生のころより、異性に依存し、デートDVや自殺企図を起こすことが多い。

じゃが、養育者本人はこどもを大事に思っておるから、こどもがちいさいときも、問題が起こってからも、「無関心でもなければ、愛情不足もありえない」と思う。

一方、こどもは、例えば、養育者に恋人がおったりすると、大事にしてもらっとっても、やきもちや嫉妬から“養育者にとって自分の存在が一番”という自信が持てない。

すると、その気持ちはどんどん増幅し、不安、寂しさ、孤独感、“愛情の飢え”を招く。

養育者側の事情は多種多様、それが同情の余地ある事情であったとしても、心は理屈で処理できない。

心は単純であり、単純でないから。

「寂しい」ものは寂しい。

いつも一緒におってくれとったとしても、一緒におってくれるだけでは不満足。

養育者の眼が追うのはいつも自分であってほしいと願うし、『たっぷりの時間、一緒にいて、たっぷり自分を見つめて、たっぷり、自分のお話しを聞いてほしい』と養育者の関心をぜーんぶ自分のものにしたいと願う。

こどもの当たり前の欲求の、贅沢で欲張りな要求にどこまで、どのように応えるか、あとは養育者のさじ加減。

過干渉や過保護はそれに伴った問題が生じるが、子育てが現時点で苦痛などを感じるものでないならば、こどもの「今」の幸せや「将来性」を気にかけるだけでなく、「今のかかわりは未来の苦悩や不幸を防ぐことに重要な意味を持つ」ことをも意識されると、『今、どんな“言動”でどんな“関わり”が必要か』をもっと広い視野で見えてくるようになると思うぞ。

過去のすべてが今につながっており、今のすべてが未来につながるんじゃ。

もしも、現時点での子育てが、養育者もこどもも苦しいものであるならば、ただちに他者に甘え、状況を変えよう。

それはそれで『親子にとって“今”必要』なこと。

臆することなく、弱音を吐くべし。

わしが味方じゃ。