第65回  繊細に

第65回  繊細に

さてさてみなさんこんにちは。

人間関係においては、ときに無神経さやええ加減さも、“生きやすさ”を見失わんために必要じゃな。

しかし、子育てにおいては、“神経質”はいかんが『繊細さ』は必要じゃぞ。

例えば、いつもは平気じゃからと、こどもが寝とるときに外出したとする。

しかし、帰ってきたら、「目が覚めたらだれもいなかった」とこどもは隣のおばちゃんちに行ってしもとった。そんなとき、“悪い親と思われたんじゃないか”という人の評価を気にする気持ちや、こどもへの罪悪感などから、「いっつもそんなん、言わへんやん」とか、「なんでなん?」「かっこ悪い」「みっともない」などと言ってしまわんかな?

普段は起きてこんかったり、「寂しい」と口にしたことのない子じゃったり、ええ加減な年齢じゃったり、しっかりしとる子じゃったりと、まぁ言い分もあるとは思うが、ここは、怒り顔はもちろん、困った顔も迷惑そうな顔もせんと、まず、「ごめんね。寂しい思いさせちゃったね。」と素直にこどもの気持ちを思いやってやろうではないか。

このときは理由を聞かずにな。

なぜなら、こどもが、責められているように感じてしまっては、次から心に素直に感じたことを表現できんようになるかもしれん。

また、「気持ちは分かってはもらえないものなのだ」と理解したり、「気持ちを表現するのはやめよう」「なにも感じないように生きよう」などと人間不信になってしまうことがあるからじゃ。

人は自分で自分の心がわからなくても、なんとなくの無意識の感情に突き動かされて行動してしまうことがある。

ときにそれは自分を守る術となることもあるんじゃ。

もしも、強がりな子や聞き分けの良い子がいつもは我慢していることをなにかのはずみで素直に表現できたとしたら、それはとても喜ばしいこと。

自分で自分の心を理解するのは、受け止めてもらって初めて気づきを持つかもしれない。

じゃが、すぐに質問されるとなると、構えてしまって表現できなくなる。

またはもっともらしい理屈や言い訳を用意せねばいかんようになってしまう。

解釈する前に相手の気持ちを聞くのも大事、適切な質問も大事、しかし、突発的な行動を理屈抜きでそのまんまぜーんぶ、素直に大きな思いやりで受け止めてやるのもすごく大事じゃ。

それが人間らしい愛じゃとわしは思う。

頼んだぞ~。