第45回  家庭内のルール

子育てゼミナール

 

 

 

さてみなさんは家庭のルールに基づいてブレないしつけができておるじゃろうか?

家庭のルールがブレブレになってはおらんかな?

例えば、ゲームの時間はどうじゃろう?

口では「あんまりゲームばっかりしていてはだめよ」と言っていながらも、ゲームをさせておけば静かで散らからないからと親の都合でズルズルそのままほおってはおらんか?

約束はゲームを長時間させないためだけのものだと軽く見んこと。

家庭でのルールを決め、守らせることはこどもが社会に出たときの分別の物差しとなる。

善悪をはじめとする、自分を律する基となるのじゃ。

例えば養育者がおってもおらんでも、ルールで決められた時間を過ぎてやり続けたときに罪悪感で胸がチクチク、ちゃんと痛むようにしたい。

罪悪感とは「悪いことをしたな」と言う気持ち。

〝怖いからやめよう〟ではなく、もっと情のあるもの。

よく、「そんなことをするとお巡りさんがくるよ」「悪いことをすると先生に叱られるよ」「言うこと聞かないとお化けが出るよ」としつけることがあるがそればっかりじゃと、「バレなきゃいい」「怖くなければ問題ない」と思うようになり、自分への厳しさが育たない。

「目に悪いから、ゲームは一時間に一回、30分休憩すること」と決めたとしよう。

しかしじゃ、養育者の都合や気分次第で声をかけたり、かけなかったり。

とりあえずは叱るが結局、最後には「いっつも言うこと聞かないんだから」と溜息で終わったりする。

すると、こどもは自分への厳しさを持たないまま育っていく。

要領だけ良くなり、「そのとき言われたことはしないけど、言われてないことは何をしてもいい」という感覚が身についてしまう。

自分への厳しさを持っておれば、〝言われてない事であっても、してはいけないことを自分で判断し、したくてもしない〟という心の中のルールをもとに行動できるようになる。

同様に、『ゴミはゴミ箱に自分で捨てる・食べ終わった自分の食器は自分で片付ける・たたんでもらった洗濯物は自分でタンスにしまう』など、日常生活の毎日の自分自身の小さな雑用を自分でさせてもらってきていないと〝そのとき言われたらするけど、言われるまではなんにもしない〟という姿勢になってしまう。

しかし、基本的な自分への厳しさが身についておれば〝言われなくても自分で判断して自らやる〟姿勢を持つことができる。

自分への厳しさがほどほどに育っておれば、勉強も自らそこそこするようになるぞよ。

あとはその子の個性を見守ればよい。

優等生やガリ勉にさせる必要はまったくない。

じゃが、自分の欲求を我慢することができなかったり、〝すべきどころ〟が自分で判断できないのはこども自身もやがて苦痛を伴うことになる。

また人生で大きな失敗をするリスクも高くなるのじゃよ。

「働きたいけど続かない」「散財をやめたいけどやめられない」「仕事に行きたいけど朝起きられない」等々、社会人として適応できない問題が出てくることがあるが「働かなくてはいけないけど我慢しない」「破産するけど我慢したくない」「仕事行きたいけど起きたくない」がほとんど。

「できない」のではなくて我慢の選択肢を持たず、「しない」というこどものころのやり方を引きずっておることが多い。

幼いころより、日常生活においての小さなルールを守らせ、我慢の経験を積みあげて自分への厳しさ、言わば自律心を育ててやることが大切じゃと思うぞ。