第42回  自己存在価値

子育てゼミナール

ぬほほほほ。

みなさんこんにちは。

我が子に対して「〇〇な子に育てたい」と願うなら、大前提にたくさんの時間をこどもと過ごし、こどもに関心をもつことを最優先しよう。

メンタルの強い子、生きる力の逞しい子、スポーツを頑張る子、勉強のできる子・・・どんな子を育てるにも、まずは自己存在価値をしっかり感じられているこどもにすることが大切じゃ。

こどものためと信じて、専門家に技術指導してもらうために養育者との時間を必要以上に割いてしまうことは非常に残念。

大成するにも、人格の安定を図るにも、能力を開花するにも、必ず、養育者に無償の愛情をたっぷり注がれ、たっぷりと甘え、たっぷりと依存した乳幼児期の経験が必要じゃ。

振り返ってみてほしい。

幼いころ、保育園に行く前に髪を編んでもらっている数分の時間を幸せに感じた思い出はなかろうか?

自分と母親だけしかいないとき、母親の膝の上で耳かきをしてもらっている時間を「このままでいたい」と目をつぶっていた思い出はなかろうか?

参観日の帰り道、自転車の後ろに乗せてもらっている時間をとても大事に満喫した思い出はなかろうか?

いじめられたり、怪我をしたり、自分に良くないことが起こったのに、母親が「かわいそうに・・」と言ってくれた瞬間、なんだか嬉しくなってもっと大げさに言い、心配してもらっている時間の心地良さを味わっていた思い出はなかろうか?

親の勤め先の近くまで行き、親が帰ってくるのを待って親と一緒に家まで歩いて帰ったほんの数分の時間、胸が躍った思い出はなかろうか?

養育者との時間を持てることが少なかった幼少期の経験を持つ人ほど、愛情を伝えるのが不器用でなおかつ、自分が「とても必要とされている」ことに気づいていないことが多い。

こどもはお世話係ではなくて養育者の存在そのものを必要としておるんじゃよ。

こどもは上手に世話をしてくれる人間を欲しとるんではなく、不器用でも養育者から感じる愛情と養育者から伝わる自分への関心を心の底から求めておることに気づいてやってほしい。

こどもが心から欲するものは豪華な食事でも、きらびやかな服でも刺激的なおもちゃでもなく、養育者との時間。

養育者のたまの休みに、自分は学校があったり、習い事があったりして、行きたくないのにしかたなくその時間をソワソワしながらやり過ごした経験や養育者の仕事場に特に意味なく電話をかけてしまっていた経験はないか?

人間は幼いころに一番多くの時間を過ごす大人から、言葉遣いや立ち振る舞い、価値観や人格すべてにおいて強い影響力を受けて育つ。

例えば優しい話し方をするおだやかな子にしたいと願っても、荒い言葉遣いで粗暴な振る舞いをする人が養育者よりも多くの時間をこどもと共有しておれば荒い言葉遣いで他人の気持ちを考えることができない立ち振る舞いを身に付けるじゃろう。

では子育てのプロがたっぷりとかまい、たっぷりと愛情をもって育ててくれたらこどもにとって幸せか?

不思議なもんでお上品に育ってもそこそこ心は満たされてもやはりこどもの心はどこか空虚でさびしい。

大人になってもその思いは心に残る。

人は独占欲が強い生き物である。

自分だけをみつめ、自分だけを愛し、自分だけにしっかりと関心を持ってくれる自分だけの人間を本能的に求める。

これが愛着と言うもの。

こどもが養育者との時間に希少価値を感じるのは切ない。

こどもが当たり前に感じられる養育者との時間を工夫して工面してなんとかできる限り多く作ってもらえたらとわしは思うぞ。