第40回  勉強しなさ~い

子育てゼミナール

さて、〝宿題を言わなくちゃやらない!〟とイライラしとらんかな?

ほほほ。

なかなか言われんとは、やらんもんじゃて。

言われてすぐにやりだす子はまれにみて素晴らしい。

「宿題は自分のため」と口にしていても、こどもは未熟じゃからそれは心底、理解できるもんじゃない。

小学校時代までは〝言われたからやる〟〝言われてからやる〟で充分じゃとわしは思う。

人生経験を積み、勉強から離れると必要性を理解できるようになるのは普通のこと。

勉強が義務ではなくなり、するもしないも自分で選択できる自由を持てると柔軟に受け止められるようになるんじゃよ。

大人が勉強を頑張れるのは生業に資格が必用不可欠であったり、趣味に通ずることであったり、給料アップや昇進など勉強意欲への原動力がこどもとは根本的に異なる。

こどもの勉強は漠然とした未来のための社会に決められた義務であり、成績が上がる喜びや周りの評価を経験してないと具体的な達成感のイメージも持ちにくい。

若さゆえ、ガミガミ言われたら反抗心からあえて勉強を拒絶することもあるぞ。

周りが焦りをみせんことがなによりこどもの自主性を促す最低条件じゃよ。

口やかましいのもいかんし、ほったらかしにしてもせんわなぁ。

まずはいままで繰り返し注意してきたことをぜーんぶ忘れよう。

「いつも言ってるでしょ?」「何度言ったらわかるの?」なんてセリフを手離そう。

こどもが帰ったら笑顔で元気よく大きな声で「おかえり!」。

〝ただいま〟を先に期待せんこと。

プラスのストローク(心地良いと感じるすべての表現)をこちらから働きかけよう。

帰ってきてすぐは疲れているもの。

即、思いやりの一言を。

「カルピス作ろうか?」の優しい一声でずいぶんと親子関係は違ってくる。

のんびりさせてあげて、あるいは短い夕方、友達と遊ぶ時間に費やせるなら大いに使わせてあげたい。

「学校から帰ってきたらすぐに宿題をしないと落ち着かない子にしたい」と言う声もあるがわしはお勧めせんのう。

強迫観念にかられて勉強するのは決して健康的じゃとは思えん。

健康的な子は疲れたときはのんびりする選択肢を持てて、遊びたいときは少々、疲れてても、無理を押してギャハハと遊べる子じゃて。

それが自然なこどもというものじゃ。

やりたくないことをやりたくないとそのまま感じられることはとても大切なこと。

まずはやりたいことをたっぷりさせてもらえる自由を持ち、その中で『やりたいことでもやってはいけないこと』『やりたくないことでもやらなくちゃいけないこと』を環境や養育者から学び、少しずつ、心と体の成長とともに受け入れていくんじゃ。

権利を尊重してもらえることで素直に義務を受け入れられる余裕を持つ。

一方的に主張を押し付けるのではなく、こどもの気持ちに寄り添いつつ、根気よくあきらめずに繰り返し大切なことを訓えていこう。

のんびりしたら、ひとしきり遊んだら「宿題ある?」と聞き、十数分待ってみて動く様子を感じなければ「そろそろ宿題しようか」と優しく声をかける。

ネムネムなら少し寝かせてあげよう。

やる気が起こらないようなら、教えるためではなく優しさを伝えるために少しでいいから隣についていてあげよう。

きっと30分もあれば終わるはず。

〝生活に追われて〟と嘆く養育者もおるがならばこそ、自分の貴重な30分を捧げよう。

必ず未来が変わってくるぞよ。