第5回 ドライバーに赤信号!?

第5回 ココロン博士の子育てゼミナール子育てゼミナール

はいはい、みなさん、こんにちは。

前回は「禁止令」ついて話をしたのぉ。

今回はそれにふかーく関係する、

「ドライバー」

というお話しじゃ。

心理学でいう、「ドライバー」とは、

“心の中の駆り立てるもの”

という意味じゃ。

大人は子に対して、

「頑張りなさい」

「ひとに優しくしなさい」

「一生懸命にやりなさい」

「しっかりしなさい」

というような、

言葉であれ、表現であれ、子が社会に適応し、

社会を生き抜いていくためにとても必要な『教え』を説く。

このような「教え」を怠ると

子は糸の切れた凧のように「自律」できないまま、

ふわふわと地に足がつかない人間になる。

しかしじゃ、

必要な教えも度が過ぎると非常にまずいものになってしまう。

「完璧であれ!」

「他人を喜ばせよ!」

「努力せよ!」

「強くあれ!」

「急げ!」

こういう命令が、

強く、子たちの心を支配しすぎてしまい、

大人になったとき、

強迫的に子たちの心を追い込むようになる。

この5つのメッセージを

『ドライバー』

という。

順調にいっているときはいいじゃろう。

とくにこどものころは、

頑張れば頑張っただけ、成績が伸びたり、スポーツでも優位になりやすい。

しかし、

人はいつもいい人では疲れてしまうし、完璧でもいられない。

頑張れないときもあれば、

弱音を吐きたいときもあるし、

物事が空回りすることもある。

大人になればなるほど、

こういうことが多くなるのじゃが、

このメッセージはゴールや適度を持たない。

ここまですればOKとか、

これ以上は無理だからあきらめようとか、

身体を壊すから少し休もうかとか、

まぁいいかとか、

限界を持つことができずに

自虐的にメッセージに従おうとしてしまう。

なぜならば、この『ドライバー』は

“~するな”

という禁止令に対して

「〇〇していれば存在していていい(愛してあげる)」

という条件付きの許可だからじゃ。

ドライバーが入っている子は

「この命令に従っているときは愛されるがそうでなければ愛されない」

という強迫感を持つ。

こころのバランス

「あるがままでいい」

という無条件に愛される充足感を持つことができず、

心はいつも駆り立てられ、

しんどくて生きづらい人生を送ることになる。

人生を支える『教え』を

“ちょうどいい加減”

で伝えていきたいものじゃな。ぬほほほほっ。