第3回 ゲームにご注意!

子育てゼミナール

 みなさん、こんにちは。皆さんの中に「自分はいつもこうだ。」とか、「いつも後悔するのになぜか同じことを繰り返してしまう。」とよく思っている方はおらんか?

 もしあるのなら、それを今すぐやめることじゃ。やめるとはな、いつもと違うパターンに方向転換するんじゃ。例えば、つい、カッとなり、母親がこどもを叩いてしまったとする。すると、すごい後悔が押し寄せてきて、
「ごめんね。お母さん、ひどい母親だよね。」
とひたすら謝る。するとこどもは、
「そんなことない、僕が悪かったんだよ。」
と母親を慰めたり、または拗ねるかもしれない。

そうなったら、そのままネガティブな気持ちに浸らずに、すぐに気分を切り替えて、ギュウと抱っこして、明るい雰囲気を作ることだけに専念しよう。
そこで嫌な気持ちを手放さないと、悪循環のスタートじゃ。

 母親は自分の言動に反応したこどもに、
「ううん、お母さんが悪かったの。こんなお母さんいらないね。」
と言う。こどもはさらに母親を気遣い、
「そんなことないって言ってるじゃない!僕はお母さんがいいよ!」
と必死で褒める。それでも母親は、
「ううん。お母さんなんていなくなればいいのよ。よそのおうちの子になる?お母さんでごめんね。」
と言う。こどもは真剣に受け止めて、
「よそのおうちの子になんてならない!なんでわかってくれないの⁉」
それでも母親は、
「ううん、あなたはお母さんのことなんて嫌いでしょ。全然言うこと聞かないもの。よそのおうちの子になれば幸せになれるよ。」
と自己卑下しながらこどもを責める。こどもはもう、どうしたらいいのか分からなくなって小さな胸を痛め、
「どうしてそんなこというの!ちゃんと言うこと聞くよ!お母さんこそ僕が嫌いなんだ!僕なんていなくなっちゃえばいいんだ!うわーん…」
と泣き出してしまう。そうしてなんとも言えない、いやーな感じが漂う。

 こういう、「あー、またやっちゃったなぁ…」と後悔して、最終的には不快な気持ちになるのに、同じパターンを繰り返しやってしまう。これを心理学で『ゲーム』という。

 『ゲーム』とは、同じようなやりとりをして最後には嫌な感情に浸り終わるという、自分特有のトラブルパターンのこと。最後に味わうこの“嫌な感情”を『ラケット感情』という。

 でも、“なぜかホッとする”のも、この感情の特徴じゃ。さっきの例は『はい、でもゲーム』というものじゃ。それぞれが加害者になったり、被害者になったり、救済者になったりして、ドラマが進み、最後にラケット感情を味わい終わる。

『あら探しのゲーム』というのもあるぞ。こどもにかたづけをするよう言ったが、子供の片付け方が気に入らず、
「ちゃんと片付いてないじゃないの。ちゃんと片付けなさい!」
と言ったとする。こどもにしてみれば、自分なりに片付けたつもりでいるから、「ちゃんと片付けたよ」と言う。

でも、養育者は、
「これで片付けたって? いつもこうじゃない!昨日も…」
と前のことを引きずり出して非難する。そして最後にはこどもはいやな気持ちになり、自分もラケット感情をたっぷり味わって終わる。

なぜ、こんなことを繰り返してしまうのか?

 それは、養育者自身が幼い頃に上手に愛情を受け取ることができなかったために、マイナスストロークのコミュニケーション方法を身に着けてしまった名残なのじゃ。そしてそれによって味わう嫌な感情には愛着があり、ネガティブな気持ちに浸っていると、なぜかホッとする。ゲームは明らかに子どもの心にダメージを与えてしまう。日頃、どんなに愛情を注いだとしても台無しじゃ。

『こうでなければならない子育て』はないが、『こうであってはならない子育て』はある。

『ゲーム』をしていることに気づいたら、即座にゲームを終わらせるのじゃ。